三機工業株式会社

会社情報

CORPORATE
  • 三機のあゆみ 三機のあゆみ

    戦前、戦後、そして現代へ。日本の成長と激動の時代を支えた三機の軌跡。 戦前、戦後、そして現代へ。日本の成長と激動の時代を支えた三機の軌跡。
  • 三機のあゆみ 技術の発展 三機のあゆみ 技術の発展
    時代のニーズに応え技術力の礎を築く 時代のニーズに応え技術力の礎を築く
    1920 1920
    1923 関東大震災。建築物の近代化が進み空調・給排水・電気の建築付帯設備 工事の需要が増加し、工事技術も進歩。 1925 4月22日旧三井物産株式会社機械部を母体として三機工業株式会社創立。資本金50万円、従業員12名。 1923 関東大震災。建築物の近代化が進み空調・給排水・電気の建築付帯設備 工事の需要が増加し、工事技術も進歩。 1925 4月22日旧三井物産株式会社機械部を母体として三機工業株式会社創立。資本金50万円、従業員12名。
  • 多角化と拡充により技術力を拡大 多角化と拡充により技術力を拡大
    1930 1930
    1931 三信ビルに本社を移転。 1933 東京日本生命館(現・髙島屋日本橋店)竣工、満州に大連支店開設。 1935創業10周年。5支店、6出張所、関係会社3社、従業員約300名。 1931 三信ビルに本社を移転。 1933 東京日本生命館(現・髙島屋日本橋店)竣工、満州に大連支店開設。 1935創業10周年。5支店、6出張所、関係会社3社、従業員約300名。
  • 建築ブームを支えた三機の最先端技術 建築ブームを支えた三機の最先端技術
    1940 1940
    1941 太平洋戦争開戦。人手不足・物資の配給統制により資材が不足。 1943 全国で金属の非常回収が始まる。川﨑製作所と鶴見工場が軍需会社に指定される。 1945 終戦。 1941 太平洋戦争開戦。人手不足・物資の配給統制により資材が不足。 1943 全国で金属の非常回収が始まる。川﨑製作所と鶴見工場が軍需会社に指定される。 1945 終戦。
  • 積極的な技術革新 積極的な技術革新
    1950 1950
    1950 朝鮮戦争による軍需景気で国内景気が浮揚、ビル建設・設備拡充により、当社の業績が急激に向上。 1958 資本金が10億円を超える。 1950 朝鮮戦争による軍需景気で国内景気が浮揚、ビル建設・設備拡充により、当社の業績が急激に向上。 1958 資本金が10億円を超える。
  • 時代のニーズに応えメーカー色を強める 時代のニーズに応えメーカー色を強める
    1960 1960
    1963 相模工場(現在の大和プロダクトセンター)竣工。コンベヤの大量生産に適した生産設備を保有。 1964 東京オリンピックで、国立代々木総合体育館・NHK放送センターなどのプロジェクトに参画。 1963 相模工場(現在の大和プロダクトセンター)竣工。コンベヤの大量生産に適した生産設備を保有。 1964 東京オリンピックで、国立代々木総合体育館・NHK放送センターなどのプロジェクトに参画。
  • 多方面にわたる技術革新 多方面にわたる技術革新
    1970 1970
    1971 環境庁発足。都市ごみ焼却施設、産業排水処理設備の実績を伸ばし、環境保全総括室を設置。サッシ事業の分離、本部制の導入。中東、アフリカ、ベネズエラなどの衛星通信地上局の空調設備、ロシアの自動車試験設備などを手がける。 1971 環境庁発足。都市ごみ焼却施設、産業排水処理設備の実績を伸ばし、環境保全総括室を設置。サッシ事業の分離、本部制の導入。中東、アフリカ、ベネズエラなどの衛星通信地上局の空調設備、ロシアの自動車試験設備などを手がける。
  • 新たな時代を切り拓く「環境」と「情報」技術の推進 新たな時代を切り拓く「環境」と「情報」技術の推進
    1980〜90 1980〜90
    1982 神奈川県大和市に基礎研究設備と大型実験設備を備えた技術研究所を新設。 1990 バブル経済の崩壊。 1982 神奈川県大和市に基礎研究設備と大型実験設備を備えた技術研究所を新設。 1990 バブル経済の崩壊。
  • 環境配慮型技術へ 環境配慮型技術へ
    2000 2000
    2000 湘南研修センター(神奈川県逗子市)開設、人財育成を強化。 2005 本社を日本橋へ移転。 2000 湘南研修センター(神奈川県逗子市)開設、人財育成を強化。 2005 本社を日本橋へ移転。
  • LCE事業を強化し持続可能な社会に貢献
    2010 2010
    LCE事業を強化し持続可能な社会に貢献
  • 「選ばれる会社」を目指し、日本の産業の発展とともに、技術の力で新しい令和の時代を拓く